2005年1月の日記
1月 31日 月曜日
なんかクサクサするなぁ
月曜日はたいてい調子が悪いです。で、調子が悪いまま某MLを見たら、知っている人の名前が。さらに、某掲示板にも同じ名前が…。思わず、シニカルと言うかなんというか、なんとも言えない口調が聞きたくなって、電話番号を探して電話をしてしまいました。といっても、午前中なんて、先方さんは電話をとれる状態じゃないんですね。まぁ、5時半頃になったらなんとかなるだろうと思って、夕方までいろいろ用事をしていました。これがまた、たまってたんだわ…。
夕方電話すると、出てきました。
なんつーか、あいかわらずきっつい関西弁でしゃべっていました。ガラガラの声でした。きっと、はりきって仕事してるんだろうなぁ。ちょっと自分が情けないというか、勇気づけられるというか…。
年度末とはいえ、ここが正念場。少しでも復活しないと、えらいことになりそう…。ねじを巻こうかな…。
1月 30日 日曜日
なんかなぁ…
そういえば、某大手運動団体が活動を休止するらしいですね。個々の活動なんかについては、いろいろ意見や批判はありますが、各地で一人でいるGID当事者がエンパワーメントされたという側面については、やはり大きな役目を担ってきたんじゃないかなぁとは思います。まぁ、わたしについては、一人一派ということで(笑)。
しかし、一体全体なにがどうなっちゃったんでしょうねぇ。はじめてGID研究会に参加したのが、岡山の時。あれから4年ばっかたちます。気がつくと、「企画する側」になっているのは、まぁご愛敬ですか(笑)。
まぁそうやってわたし、ずいぶんと変わっちゃったんでしょうけど、みなさんも変わっちゃったなぁ、と。いや、だれがと特定しているわけじゃないです。でも、ずいぶんといろんなことが変わったなぁ。
でも、この変化、なんかしっくりこない…。でも、もしかしたら、自分の変化が自分にしっくり来ないのかなぁ。自分としては、ずいぶんと安定したと思っているんだけどなぁ。
わかんない…。
いずれにしろ、学年末が近づいてきた。落ち込みの時期ですわ…。
1月 29日 土曜日
素人料理「いつき」開店か?
最近、ちょこっとしたお総菜をつくりながら、「これって、お店に出したら喜ばれるだろうか」などと、ふと考えるようになってきました。
で、弟に「君のお寺の駐車場で、不定期開催の居酒屋をしーひんか?」と聞いてみると、「おもしろいかもね」という答が返ってきました。まぁ、性格が似ているみたいです。
ということで、4月以降、ちょっと落ちついたら、不定期開催ではありますが、京都市内某所にて「いつき」というお店が開店するかもしれません。また、どこかでアナウンスします。
1. 02/02 19:13 寺で居酒屋(笑 …坊主バーを思い出しました。(ms. M) http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/5766/
2. 02/03 12:24 う〜ん、「不定期開催の居酒屋」ねぇ・・・。不定期であっても「お店」だと、とくに飲食関係は、いろいろお役所(保健所とか)がうるさいです。
3. 02/03 12:26 高校の文化祭で模擬店(食品系)だすのも、厳密に言うと保健所が・・・。あっ、これはお仕事柄ご存知ですよね。
4. 02/03 12:27 私がやった模擬店は、開店の翌日には消えている「お店」だったので、問題ありません?でしたけど(姐)
5. 02/03 14:46 そういえば、昔検便出したなぁ。最近の検便、お尻の穴を麺棒みたいなのでこするんですよね。あれ、なんともいえんかったです。(い)
6. 02/03 14:47 というのはおいといて…。まぁ、「翌日行方不明系不定期模擬店」ということで…。(い)
7. 02/03 15:25 ちょ、ちょっと、まったーっ!http://www.hosp.med.keio.ac.jp/kensa/kentai/atei-62.htm(かずみ)
8. 02/04 12:28 ↑はうぅっ(い)
1月 28日 金曜日
メモメモ…
京都部落問題研究資料センターの「近代の部落史連続講座第2回」「京都の部落問題と水平運動・朝治武さん」に行ってきました。いや、なかなか刺激的でした。とりあえず、メモです。
・(部落)差別とは何か?
大きくは3種類。「国民国家の中で出てきた」「地縁血縁の中で出てきた」「人種主義(人を特殊化するまなざし)のなかで出てきた」
しかし、「差別」は客観的に存在するものではない。「差別を受ける人」「差別を問題とする人」が声をあげた時に、「差別」は「差別」となる。だから、「いつ」「誰が」「何を」「どう」問題にしたかを丹念に調べることから、「差別とは何か」という問いを読み解きたい。
・水平社の運動の分岐点は「普選運動」
水平社の活動家の「選挙」というものへのスタンスには3つあった。
一つは南梅吉に代表される考え方。これは「既成政党とのつながりの中で、要求を具体化していく」。ただし、南梅吉は、「具体化する時の予算等もよこせ」と言った。もうひとつは青年同盟に代表される考え方。これは「既成政党によらず、無産政党をつくって要求を実現しよう」という考え方。もうひとつは、平野小劔に代表される考え方。これは「政党運動ではなく、水平社が直接交渉をしながら要求を実現していけばよい」という考え方。
最終的に、こうした路線の違いが「スパイ事件」における南や平野の実質的な除名につながったのではないか。
・「差別」は具体的には5つの事象にわかれる。
「言行」「実態」「制度」「認識」「慣行」がそれである。「言行」については「糾弾」で闘い、「実態」については「行政闘争」で闘い、「制度」については「立法闘争」で闘ってきた。しかし、ほんとうに難しい闘いは「認識」や「慣行」を変える闘いである。
ふみゅぅ〜。なるほど…。
1月 27日 木曜日
新京都府人権教育・啓発推進計画
先日、「新京都府人権教育・啓発推進計画」というのが出たようです。で、廊下を歩きながらパラパラ見ていて、ぶっ飛びました。なんと、性同一性障害が「さまざまな人権問題」のなかで、ひとつのセクションをたてられていたんです。「へー、へー、へー」ですね、本当に。もっとも、よくネット上を探してみると、パブリックコメント募集があって、そのなかに書いてありました。
ということで、関連個所をちょっと転載してみますね。
* * *
8 さまざまな人権問題
これまでに記述した以外にも、次に掲げるような様々な人権問題が存在しています。
○犯罪被害者等 略
○ホームレス 略
○インターネットによる人権侵害 略
○個人情報の保護 略
○性同一性障害
性同一性障害は、生物学的な性(体の性)と性自認(心の性)が一致していない状態を言い、世界保健機関(WHO)の国際疾病分類に位置付けられています。性同一性障害のある人は、公的な書類(戸籍・住民票・パスポート等)の性別が外見や社会生活上の性別と食い違っているため、様々な不利益や差別を受けることがあります。
2004年(平成16年)7月から、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が施行され、性別適合手術を受けた人のうち一定の条件を満たす場合については、戸籍上の性別を変更することが可能になりました。しかし、なお行政文書における性別記載欄の問題をはじめ、就職や勤務、医療の受診、住宅への入居など様々な面での課題が指摘されています。
性同一性障害のある人が地域で安心して暮らしていけるよう正しい理解と認識を広げるための啓発活動の推進に努めます。
* * *
う〜ん、なんつーか…。いろいろあるなぁ、と。
ひとつは、「性同一性障害は疾病分類に位置づけられている」という立場が明確にあります。これは、まぁ某所であいかわらず論議の最中なようですが、まぁ、そーゆーことで。
あと、「性別適合手術を受けた人のうち…」というのもおもしろいなぁ、と。「性同一性障害者のうち…」じゃないんですよね。簡単に言うならば、「どこでうけたか」は関係ないという、現在の状況を反映している、と。
さらに、そのあと「しかし、なお…」とあります。以下の記載って、基本的には、性別記載が変更されたらクリアできる可能性が非常に大きくなる個所です。にもかかわらず、これを書いているということは、「性別変更できない人」「性別変更する気がない人(笑)」への記述ととらえることができるのではないかと…。
つーことは、なにも「性同一性障害」に限る話じゃないじゃないですか。ここまでやるなら、前半の「医療関係」をとっぱらってしまって、「◯トランスジェンダー」という形で柱を立てたらええやんか。
と、ここまで思ったのですが、トランスジェンダー的立場からいうと、「んなもん、おまいらに正しい理解をしてもらわんでもええわい!つーか、理解不可能な生き方がおもしろいんじゃわい!」という話もあるわけで、まぁ難しいなぁ。
しかし、時代も変わったなぁ…。などと思っていたのですが、ひょいと思い出しました。そういえば、人権教育室のお友だちが、一昨年の特例法成立の直後あたりに電話してきてました(笑)。まぁ、関係ないかな。
ちなみに、性的指向にかかわる話は「○ その他の人権問題」の中に、
* * *
同性愛者への差別といった性的指向に係る問題についても、この解消
に向けた取組が必要となっています。
* * *
という形で触れられています。う〜ん、分断されてるなぁ。さらに、インターセックスへの記述がないのも気がかり。
1. 01/28 20:49 まあ、どっちにしろ、私のようなトランスジェンダーには、人権なんて関係ない話で・・・。
2. 01/28 20:50 というか、お役所が唱えるお題目のような「人権」なんてこっちから願い下げです(姐)
3. 01/28 23:53 そうそう↑。「問題です」と言うだけ言って胸張ってる・・・。(ってオマエが言うか?)しかし京都も変わったな。東ジュン
4. 01/31 08:37 いや、全体的には、わたし、評価しているんですよ。こういう動きから実質をとっていくという戦術も必要かと。(い)
1月 26日 水曜日
テストであたしも考えた
今日は3学期中間試験です。なんで中間試験があるのかというと、当然試験範囲を狭くして、点数をとりやすくするためです。なにせ、わずか半月なのに、やっぱり100点満点のテストです。めちゃラッキーなはずなんですけど、これが、テストの点が取れないんですよね。
ま、それはおいといて…。
定期試験といえば、やらなくちゃならないのが試験監督です。これがヒマなんですよね。採点はもちろん、読書もしちゃならないんです(あたりまえか…)。しかも、生徒たちとの間で「切るか切られるか」という緊張関係があれば、まだ直がすぎるのも忘れられるのですが、今日監督に行ったクラスはまるっきり緊張感がありません。
ということで、やることは「考えること」なんですね。
この間、関心事になっているのは、8日の日記にも書いた「自分らしさ」という言葉です。
「女子教育問題」に長くかかわってこられた方々が、既存の「男らしさ・女らしさ」から自らを解き放つキーワードとして「男らしさ・女らしさではなく、自分らしさ」という提言をされて、おそらく、もうずいぶんになると思います。こうした人々の、長い長い地道なとりくみの中で、「自分らしさ」という言葉は、かなり定着をしているように思います。
でも、最近思うのは、「ジェンダーバイアスと自分らしさは無矛盾に存在するのか?」ということなんです。だって、たとえば、男女の経済格差がずいぶんとマシな北欧なんかで働いている女性を見た時「化粧してるやん」「レディス着てるやん」。一方、男性は「ヒゲはやしている人いるやん」「メンズ着てるやん」。
たとえば、「スカート」という装いが、「女性の活動性を奪っている」みたいな話が昔あったような気がしますが、だとするならば、「スカート」という装いを拒否するあり方だってあるだろうと思うのですが、実際には北欧ではそうではないんですよね。
う〜ん、うまく言えないけど、「経済格差」を埋めることと「らしさ」とはかな〜り無関係という感じがするんです。
あ、なにがなんだかわからなくなってきた。やめよ…。
1. 01/27 23:21 そこが「いきすぎたジェンダーフリー」とつっこまれる所なんだよね!「らしさ」が「主義(イデオロギー)」になると、時に現実を見なくなって足下をすくわれる。東ジュン
2. 01/31 08:39 こないだの教研で「現実から離れた理論だけのフェミニズム(だったかなぁ)は大衆の支持を得られない」という発言があった。ふむ。(い)
1月 25日 火曜日
だれがボタンを押すのか?
今日、「とある行事」について、「とある管理職」とたまたま話をしていました。というのは、例によって例の如く、わたしは確実に放送担当だったりするからです。
まぁ、BGMの話やらなんやらして、「んじゃ、よろしく」とお互いにあいさつをして、そのまま他の教員と無駄話をしていました。すると、先ほどの「とある管理職」がこちらにやってきて、「「とある行事」の最初に流れる「とある歌」のCD、なんで事務部長が再生ボタンを押してんの?」と聞いてきました。「いや、あれは「とある歌」が導入された時から、ずっとそうでしたよ」と答えました。すると「君が断ったんか?」と聞いてくるので「いや、もともとそうなっていたみたいです」と答えました。
それを聞いた「とある管理職」は、「ふ〜ん」と言いながら向こうへ行きかけて、ふたたびこちらを向いて放った言葉は「で、君はボタンを押すのはかまわないのか?」です。即座に答えました。「いやです」。
すると、「とある管理職」は、「ふ〜ん、ほな事務長やなぁ」と言いながら向こうへ行きました。
平和や…。あ、事務長、ごめん。
1. 01/27 20:48 「とある歌」だけ再生開始は自爆ボタンにしておいたら事務長さんも押すのをためらうかも(ま”)
2. 01/27 23:24 全体的に平和だ。CDで済むなんて平和だ。東ジュン
3. 01/27 23:25 平和で思い出したけど、この間、リーチ平和に、ドラが4つのった♪東ジュン
4. 01/31 08:40 お、関西への旅費ができた(笑)?(い)
1月 24日 月曜日
やらせ
ある市の広報の人権関係のコーナーに、わたしのインタビューが載るそうな。で、写真があったらほしいとのこと。できれば、授業中のがいいとか。
んなもん、あるわけありません。でも、なければつくるのが世の情けです。放課後、放送部員を動員して、学校のデジカメを借りて、撮りました。これです。まぁ、やらせくさいこと(笑)。他にも撮ったんですけど、こんなんもあります。腰のあたりが(笑)。ちょっと気に入っていたりします(爆)。
まぁ、生徒と一緒に写真を見て笑い転げました。
ところで、もしかしたら、あの写真使うのかなあ。こわ…。
1. 01/27 23:27 1枚目がいいよ!さらに、増減表の方が気になったりして。東ジュン
2. 01/28 06:25 小首のかしげ方がいつもカワイイ。でも、生徒が写らないのはふしぜーん。(かずみ)
3. 01/28 08:28 わたしも増減表とグラフに目が行ってしまった(ま”)
4. 01/30 00:02 かわゆい!>(あ
5. 01/31 08:41 第2次導関数まで言及してないのが悲しい…。つーか、あの板書、やらせやし…(い)
1月 23日 日曜日
off
とにかく目が溶けるまで寝ようと思っていたのですが、9時頃にトイレに行きたくなって挫折。下に降りたらすでに子どもたちはテレビゲームをしていました。パートナーは疲れからか寝ていたので、朝ご飯の準備。せっかくの日曜日ですから、ポテトサラダなんぞつくりました。
しかし、わたしの目を盗んで冷蔵庫からなにやら取り出して「やったぁ!」とか言って走り去っていくやつ、なんとかならんのですか。単なるネコです。なにせ、走り去ったあと、すべての扉が開いたままですから…。ちなみに持っていったものは、クリームクロワッサンでした。あとで見たら、クリームだけがなくなっていました。
子どもたちにご飯を食べさせて2階に上がると、パートナーはまだ寝ています。というか、「のどが痛い…」とか。まぁ、寝ててください。
お昼ご飯は広島焼き。ここでまた下の子どもは豚肉とそばだけを食べて走り去っていきました。あのね、広島焼きは生地とキャベツを食べないと、単なる焼きそばなのよ。
晩ご飯はきのうの手コネつくねのなんちゃら。胸肉ともも肉のミンチを混ぜて、大きめに切ったタマネギのみじん切りと一緒にこねます。それをフライパンで焼きます。お酒をふってふたをするとふっくら仕上がりますね。焼き上がったらフライパンごと食卓に出して、生卵を載せて、上から醤油・みりん・お酒を混ぜたタレをかけます。これ、なかなかのヒットでした。
てな感じで、思う存分ご飯をつくって、満足な一日でした。
1. 01/27 23:30 いつきさん、こういう静かで穏やかな一日もあるんだね、いいかんじ。東ジュン
1月 22日 土曜日
三田でお話
お昼にいかなくちゃならないので、朝のうちから出発。行きの電車の中で、久しぶりにサイトを更新しました。といっても、「おでかけ情報」などというやつです。まぁ、あったら便利かもしれないという感じです。それにしても、よくぞLooxにビルダーなんざ入れていたもんですわ。最近タグ打つのめんどくさいから、助かります。
三田に着いたらお昼頃。主催者の方にお昼ご飯を御馳走になりました。なかでも炊き物のおいしかったこと。話の前にこんな思いをしたら、既にフィニっています。
で、今日は昨日と違って2時間半時間をもらったので、しょーもないネタをいっぱい振ってしまい、結局いつもの通り最後まで話がいかないという…。あたしゃ何をしに来たんだろう。
それでも、終了後飲みに行ったりしました。またまたおいしいお店です。なかでも、つくねの手こねなんちゃらが絶品。ちょっとパクろうかな、と。
結局、終電まで粘って、無事電車に乗って帰りました。
こんなんでええんやろうか…。
1. 01/27 23:32 この日だったね、東西で似たパターンの一日(笑)東ジュン
1月 21日 金曜日
今日は神戸大学のゲストスピーカー
わたしがいままで担当した生徒のなかで、神戸大学に行った生徒って、ひとりだけなんです。でも、いろんなかかわりのなかで、どういうわけか、ジェンダーの講義の一環で呼ばれてしまいました。
大学1年生の人たちを相手に、1時間半という短い時間。どうなるんだろうという感じでスタートしました。
ところが、みなさん、反応がいい!しょーもないネタにもきっちり反応して、とっても話しやすかったです。かなり飛ばし飛ばし話をしたのですが、1時間半終わったら、みなさん帰ってもいいわけですが、一生懸命感想文を書いて下さったり、ネタの写真を見て下さったり、質問をして下さったり。
で、いろいろしゃべっているうちに、何人かの人が集まってきて、駅前で飲もうという話になりました。こちらとしては、望むところです。つーか、もしもどなたもおられなかったら、大阪の友だちに連絡をして、それでもダメだったら、どこかでさみしく飲もうと思っていたところでした。
なんでも、一緒にの見に行った方たち、社会人大学生の人たちらしいです。ですから、大学1〜2年生といっても、年齢はそこそこ。経験もかな〜り。
わたしの話って、基本的に「自分にとってのパンドラの筺あけていこう」
みたいな話なんですけど、それって、けっこうむずかしいことですよね。ところが、今日の飲み屋での話って完全にみんなでパンドラの筺をあけまくっていました。みんな自分の子どもの頃を振り返って、「わたし、自分のことを変態と思っていました」なんていう話がどんどん飛び交っていきます。もう、とてもではないですけど、書けません。でも、そんな場所に出くわしたの、もしかしたら、わたしのことをそれなりに受けいれて下さっているからかなぁと、うれしかったです。こんな出会いって、めっちゃいいです。
結局、5時過ぎにお店に入って、気がついたら10時過ぎ。もしかしたら、終電がないかも…。あわてて駅に行って電車に乗ったのですが、はたして家に帰れるかどうか…。そしたら、「うちにとまります?」と平気できてくる人なんています。。ええんかいな。家族関係、悪くなってもしりませんで(笑)。
てなことやっていたら、どうやら最終に間にあいそうです。
1月 20日 木曜日
ニューイヤーコンサート
今日は、下の子どもの小学校の授業参観&PTA研修会です。わたしは本部の研修部担当ということで、この研修会の企画をしました。
例年は講演会形式をとることが多いのですが、3年前に音楽会をやった人たちがいて、「おぅ、なかなか」と思っていました。ということで、今年も同じ人たちに来てもらって、ティーパーティー形式のミニコンサートにすることにしました。
来てくれたのは、ピアノ・フルート・バイオリンのアンサンブル。本人たちが「癒し系」と言うとおり、まぁ、文部省唱歌から「涙そうそう」から「熊ん蜂は飛ぶ」から、なんでもありです。でも、最後はJシュトラウスの「ラデツキー行進曲」で締めるあたりが、やっぱクラシック畑のニューイヤーコンサートですね。思わず一人だけ手拍子をしようかと思ったのですが、浮いてしまいそうなのでやめました;;_;;。
しかし、ウチの学校、というか、いま住んでいる町、体育会系なんですね。体育館は立派なのがあるんですけど、コンサートができる固定式の椅子があるホールがありません。唯一ある講堂は、折りたたみ椅子を並べなくちゃならないし、空調がうるさいのなんのって。まぁクラシック系のコンサートは開けませんね。近くの町には、室内楽で有名なやまなみホールもあるし、隣の町にもコンサートも開ける多目的ホールがあります。なのに、うちの町だけそんなんなんです。なんとかならんのかなぁ。
1. 01/27 23:35 インターナショナルでいいじゃん!最後のニュースでいいじゃん!東ジュン
1月 19日 水曜日
アンテナ探し
いや、みんな考えているんですね。Air H"がつながらなくてどうしようということ。で、いろいろぐぐっていたら、ありました。こんなところが。
たぶん、ここを見ているようなマニアックな人だったら、「なにをいまさら」というところなんでしょうけど…。思わず、「つくろうか」「いや、買ってこようか」といろいろ考えてしまいました。
なにせ、前にも書いたように、せっかく導入したのに、通信環境があまりにもひどすぎです。結局、田舎と都会の環境格差はどんどんひらいているんだということを再確認するだけでしたから。
しかし、いま「住んで」いる部屋が4階。なのに、圏外。部屋の中をうろつきまわっても、やっぱりほとんど圏外。ということは、屋上に出て23段のコーリニアアンテナを立てなくちゃならないわけです。う〜。来年異動がなければ、本気で考えようかな。
1月 18日 火曜日
「風の旅人」
「人権教育」の時間を担任さんにやってもらう時、一番苦労するのは教材です。もしも自分でやるなら、適当にそのへんに転がっている題材や、自分の中に転がっている題材を使えばいいのですが、他の人にやってもらうわけですから、そうはいきません。もちろん、プリントを作成することもあるのですが、な〜んかいやがる人が多いかなぁ。ということで、頼るのが「視聴覚教材」です。まぁ、ビデオのセットさえしておけば、それなりの時間生徒の守をしてくれるわけですから(ピー・笑)。
ということで、担当者はひたすら視聴覚教材を探し、「こんなんあったでぇ〜」と情報を交換しあうわけです。
で、今日「風の旅人」というのを見ましたが、実にいいっす。牧口一二さんが書いた同名の本を漫画化したものをさらにアニメ化したもののようです。牧口さんがかかわっているだけあって、現在の障碍観に基づいてつくられています。わずか30分のアニメですが、いろいろなことがさりげなく盛り込まれています。わたし@涙腺弱りまくり的には、最後は涙が出ちゃうのですが、それはそれでいいかもしれません。
てーことで、各校の担当者の会議でみんなで見たのですが、くじ引きでビデオがまわることになってしまいました。
1. 01/27 23:37 今度某メトロポリタンが4年前に作ったビデオ使ってー。姐さんも出演しているらしいよ。東ジュン
1月 17日 月曜日
そうか、あれから10年か…
10年前も同じ家にいました。当時から床においたビー玉が北西の方向に転がっていく家でした。その朝…。と書きはじめたのですが、過去の日記を読むと、2003年の1月17日に書いていますね。で、その時書き忘れたこと。
震災後の最初の日曜日、誘いを受けて、西宮に行きました。集合場所に背負子をもって集まって、阪急に乗りました。阪急は西宮北口までは通じていました。その日は、震災後はじめての雨の日でした。
駅を降りたらなんとなくごった返した感じでした。お店も全部閉まっています。でも、「こんなもんか…」という感じでした。その後、ボランティアの集合場所まで歩いていきました。途中、イズミヤがあったのですが、「斬新なデザインだなぁ」と思いました。なにせ、途中で上の階から下の階にスッと移行しているんですから。って、ちょっとまって?あれ、もしかしたら、下の階がつぶれてるの?どうやらそうだったようです。柱の入っていなかったフロアがきっちりぺしゃんこになっていたんです。そこから先、隣の家にもたれかかっている家、電柱にもたれかかっている家、転がっている家…。そんななか、不思議と普通に立っている高層マンション。わけがわかりません。徐々に平衡感覚がなくなっていきます。なにしろ、道路はうねってクレバスが走っているし、電柱は思い思いの方向にいがんでいるし、壁は適当にうねっているし…。
ボランティアの集合場所に行き、説明を受け、とりあえず日赤の毛布の集結所に行って、背負子に詰めるだけ摘んで出発です。あたりには焦げ臭い臭いがしています。このあたりでも火事があったようです。国道2号線は、大渋滞。そのなかを赤い帽子をちらちらさせた黒塗りの車が10台くらい列をなしてしずしずと走っています。どうやら、すべて遺体を運んでいるようです。頭上では、ひっきりなしにヘリが飛んでいます。あとで聞いた話によると、行きは救援物資を運んでいて、帰りは遺体を運んでいたようです。長田区でボランティアをしていた人から、「お線香がほしい」というオファーがあったそうです。「そっか、お線香を捧げるんだ」と思っていたのですが、違うんですね。ホールに並べてある遺体が腐敗しはじめて臭いので、必要だったらしいんです。
想像を絶するところでした。
でも、おもしろいこともいっぱいありました。そのあたりのことを書くと、長くなるので、またいずれ…。
こんなことを授業で生徒に話しながら、「今日、黙祷した?」と聞くと、「してない」って。なんだかなぁ。もう4時間目なのに。で、生徒たちもあんまり臨場感がないんですね。「震災は平等にやってきた。しかし、災害は差別的だった」みたいな話も、ぜんぜん通じそうにないです。はぁ。連中、小学1年生の頃だしなぁ。こうやって、「非当事者」にとっては風化をしていくのかなぁ。いかんいかん。
1. 01/21 00:39 「ジュネ」のお手伝いをした帰り、あまりお腹がすいたので、珍しく渋谷駅ガード下の立ち食い蕎麦屋に入りました。
2. 01/21 00:40 姐ちゃんの格好の時は、そういう店には入らないのですが、その朝に限ってなぜか・・・
3. 01/21 00:41 天婦羅蕎麦を食べていたら、隣のオジさんが店主に「関西の方で、地震があったらしいね」と言いました。
4. 01/21 00:42 「そうみたいですね」と店主。その会話を脇で聞いてた私。その時には、まだ誰もあんな悲惨なことになってるなんて知らなかったのです。
5. 01/21 00:42 あの朝から、もう10年がたったのですね(姐)
1月 16日 日曜日
玖伊屋→昼食→某会議
朝、突然携帯の音が!どうやら、京ポンの目覚まし時計のようです。その音に釣られたように起きあがった人影3人。早出の人々です。わたしも起きちゃったので、みなさんを駅まで送って、再度爆睡。次に起きると8時でした。しばしメールチェックなどして、「10時ごろには返るので、起きたら片づけすすめておいてね」と置き手紙をして、用事をしに実家へ。帰ってきたら10時過ぎ。部屋にはいると、やっぱりみなさん爆睡中。とりあえず、台所に行って、昨晩洗ってくれた食器を片づけはじめました。そうこうするうちに、みんな起きあがってきて、ようやく撤収。もう、10時半でっせ。
なんとか昼前にお家に帰って、スペシャルラーメンづくりです。船主つくった参鶏湯があるので、野菜炒めにそのスープを混ぜてベースになるスープづくり。これがこくがあるのにあっさりしていておいしいです。パートナーは味噌ラーメンがいいというので、丼に味噌を入れて溶きます。わたしは塩ラーメンがいいので、塩をパパッとふっておしまし。麺を入れると完成です。いや、うまかったっす。思わずスープも全部飲んで完食です。
その後、兵庫県で会議。3月にあるらしい、某研究会の準備の会議です。ふだんとは違い、3時間以上に渡る真剣な論議と、新年初の会議にふさわしいくだけた雰囲気の中、かなり準備も進みました。しかし、かなり仕事があるなぁ…。
会議のあとは、恒例の2次会。つーか、会議のあとが2次会って、会議は1次会やったんや。ベトナム・フロッグという店で、2時間半、濃いぃ話も交え、懇親会。もっとも、あたしゃ、空腹と満腹が交差しながら、酔いと素面が交差していたので、なかなかしんどかったです。
9時半に終了。その後、元気な人たちは3次会ということで夜の町に消えていきましたが、あたしゃそのまま電車の中の人。
あした、起きられるだろうか…。つーか、朝から出勤できるだろうか…。自信がないっす。
1. 01/17 20:13 3次会は0さんが絶好調でした。私はほとんど死んでました(笑)(さ・も)
2. 01/17 23:17 くちおしや。ちょーど、梅田から帰ったトコですた。あのまま残ってたらよかった・・。(Y子)
3. 01/20 18:08 >1さん、全体に死に気味でしたね。
4. 01/20 18:09 >2さん つーことで、わたしも死に気味だったし…(い)
1月 15日 土曜日
某授賞式→某旗開き→玖伊屋
朝、みんなで朝寝坊。とにかく、寝ないことには体力が持ちません。8時のサイレンが鳴っても、「寝たる!」と意地でもふとんから出ません。でも、そのうちトイレに行きたくなって、断念。起きたついでに朝ご飯をつくって、日常へ。
今日はお昼に奈良に行って、某作文コンクールの授賞式です。作文を書いているのは、小学生から高校生まで。みんな、なんらかのかたちで外国にルーツを持っています。こういう子たち、潜在的に学力があっても、日本語がわからなかったりするために、「できない子」といったレッテルを貼られることがよくあります。すると「ほめられる」経験に不足をしてしまうんですね。もしかしたら久しぶりかもしれない、授賞式でのちょっとはにかんだ笑顔が、とっても暖かい感じがしました。また、作文の内容もとてもすごかったです。ある時は親を怨み、ある時は親の涙に親を許し…。おどろくほど似た経験をしていますね。授賞式のあと、高校生たちが仲良く話をしている姿に、「仲間」という言葉を思い出しました。
そのあと、急いで京都市内へ。わたしの属している組合の旗開きです。まぁ、これからの自分のみの振り方も含めて、いろんな話をしました。
で、そのあと急いで玖伊屋へ。本日のメニューは「根菜の炊き合わせ」と「チゲ」です。もちろんそれ以外に、あまった食材でちょこちょこっと一品をつくったりしましたけど。
で、今回のスペシャルゲストは、たまたま関西に来ていた<いずみちゃんです。
朝、サイトを見ていて、関西に来ることがわかり、「今日玖伊屋ですよ、来ません?」とメールを打つと、即座に「行きます行きます!」と返事。ほんとうに何年ぶりだろうという暗い久しぶりに会えました。あいかわらずないずみちゃんで、ホッとしました。
今回は、みんな朝が早いので、帰る人続出・寝る人続出です。で、酒保担当としては、小腹が減った。ということで、百合子ちゃんと近所のラーメン屋へ。けっこう満足して帰ってきて、そのまま爆睡でした。
1月 14日 金曜日
で、学校で試したら…
そうそう、昨日契約をする時に、いつもの通り生年月日欄と性別欄を放っておいたんですね。なにせ、生年月日欄は「明治・大正・昭和・平成」みたいな選択肢しかないんです。さらに、数字は二桁しか書けません。で、「はい」と言って契約書を出したら、生年月日欄を指して、「あの〜、ここもお願いします」って言われました。「西暦で書きたいんですが」と言うと、「西暦の選択肢がないので…」と申し訳なさそうに言われました。ってことで、めっちゃ久しぶりに元号で生年月日を書きました。くそ〜。ちなみに、性別欄はふたつしかなくて、勝手に◯をしていました。変やなぁ…。
で、職場で試してみたら、これまた圏外!どないなってんねん!つながらへんかったら、設定が正しいかどうか、わからへんやんか!だいたい、ウチの学校、エリア内やで、たぶん。いや、もしかしたら、エリアぎりぎりかもしれませんけど…。ところが、机から離れて廊下に出ると、たまに圏内になります。そのままLOOXを持って校内をウロウロしていると、玄関に一番近い棟に行くと、どうやら圏内というか、電波状態が最良になるようです。つーことは、大職員室だったらいけるわけね?ということで、試してみると、きっちりつながりますやん。思わずそのへんにいる教員に「ほれ、2chもいける!」などと、しょーもない自慢をしてしまいました。
帰りに、道路沿いに電波状態を調べてみると、国道沿いであるためか、ほとんど圏内です。で、家のそばになると、最良と弱をくりかえします。で、家の前にたどりついた瞬間、きっちり圏外です。結局、そういうことなのね…。
1. 01/16 06:23 https://www2.ddipocket.co.jp/area_form.html (K
2. 01/22 08:36 ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/963/1105324121/r423 この文章、わたしからんでいるんですよね
3. 01/22 08:37 どっかにメモっておきたかった。(い)
1月 13日 木曜日
つながるか?
年が明けてから、府教委のネットのアクセス制限が、一層厳しくなりました。MLの管理なんて、ぜんぜんできないし、ふだんチェックしいてるサイトも半分くらいアクセスできません。もう、こんなんでは話にならないし、仕事にもなりません。ということで、しんけんに、AIR H"の導入を考えはじめていました。
ということで、今日、とうとう導入です。
端末を買って帰って、ispに登録をして、いざ導入。すべてはうまくいったようですが、つながりません。つなげた瞬間のH"をひょいと見たら、なにやら赤いランプがついています。もしかしたら、うちの家って、圏外?
さすが、人口9000人の町やわ…。
あした、もう少し人口が多いところに行ってやりなおしですわ。
1. 01/14 17:32 はじめまして。わたしはNTTドコモの@FreeDでインターネットをやっていますが、農村部は圏外の場所が多くて苦労してます。
2. 01/15 11:15 うちもユーティリティで見ると、基地局5個ほどつかんでますが、見通しの利かない部屋は結構辛いです。いつも使うのなら、ポケットに改善要望を(朱)
3. 01/15 14:47 さっそく出しました。学校名さらしました。さらに、自分の机のある部屋までバラしました。はぁ…。
1月 12日 水曜日
子どもの誕生日
上の子ども、本当は明日が誕生日なんですが、あしたはいろいろあるので、一日繰り上げて、今日がパーティー。といっても、ちょっと豪華な晩ご飯(もらいもんのステーキ肉)とケーキというだけのことですけど。
上の子どもが産まれたのは、わたしがはじめて担任を持った学年が3年の時でした。あの頃は(いまでも)ムチャクチャをしていて、12月終わりから1月はじめまで、約半月、ずっとスキーに行っていたりしていました。たしかあの年もそうでした。そうそう、7日の夜だったかに、電話があったので、飛んで帰ったような気もします。
3学期がはじまって通常の授業がはじまります。あのころは、まだ携帯なんてなくって、ポケベルもあったかどうか…。毎日病院に入っていましたが、生まれるかどうかの連絡は加入電話に頼るしかありませんでした。ですから、看護婦(当時)さんに「生まれそうになったら電話を下さい。立ち会いたいんです」と話していました。
13日も、「いつ電話がかかってくるかなぁ」と思いながら放課後になり、やがて教室の掃除をしに行きました。帰ってきて、電話がありました。「もうすぐですか?」と聞くと「いや、生まれてしまいました」とのこと。いったいなんやねん!なんでも、電話をするのを忘れていたとのことです。まぁ、子どもが産まれていた時間帯は、わたしは生徒と一緒に教室掃除をしたいたんですね。おかげさまで、子どもが産まれた時間帯はよくわかっています。3時15分頃です。
上の子どもが産まれる時は、ウトロのオモニ達や在日の友だちが見舞いに来てくれたり、部落のお母ちゃんたちが見舞いに来てくれたり。本当に大切にしてもらいました。
そんな話をしながら、子どもと一緒に夜を過ごしました。こんな日が大切なんだろうなぁ。
1月 11日 火曜日
初めての試み
とにかく、2学期になって、特に後半になって、講座の生徒たちが荒れてきて、授業が成立しにくい状況になってきました。11月の終わり頃に、とりあえず信頼関係が取りもどせて、なんとかなってきたのですが、このままではやばいです。ということで、はじめての授業の方法を取り入れることにしました。
いままでは、基本的にはプリント学習は嫌いだったのですが、とりあえず、やらなくちゃしかたがないということで、プリントをつくることにしました。といっても、なにが書いてあるわけでもありません。枠がつくってあるだけです。日付・本日のテーマ・説明・例とあります。つまり、普通はノートに写すのを、プリントに写させようということです。さらに、最後には「本日のとりくみ度・振り返ってひとこと」というコーナーをつくりました。ここに自己評価をさせて、ファイルに綴じる。で、回収です。
さてさて、どうなるかなと思ったのですが、意外なことに、みんな真剣に黒板を写しはじめました。
結局、授業中、何をしていいかわからないから、しかたなしに遊んでいたのかなぁ。
まぁ、いつまで続くかわからないけど、3学期は短いから、なんとかなるかなぁ。そうそう、人数も少ないことだし、自己評価に対して、コメントも書いてやろうかなぁ。
1. 01/14 11:11 プリントつくって
2. 01/14 11:12 失礼。プリントつくって向かう授業って、「単元強制終了」なことない?「強制終了プリント」。こわ。ゆき
3. 01/14 16:49 塾講師のバイトで板書をしないようにしていたら、英単語のスペルの違いを説明するのに少し書いたとたん、全員がガバッと下向いて写し出した。怖かった〜(ま”)
1月 10日 月曜日 のち
教研+オプション
朝起きたら7時半。さすがに、朝から倒れそうです。でも、前日の夜、教研の会場にパソコンを忘れていたのに気がついていたので、会場の管理事務所に連絡をしなくちゃなりません。とりあえず、朝のコーヒーを飲ませてもらって、なんとか目を覚ましました。
ところで、stnのお友だち、オーディオに凝っているんです。いや、すごいです。スピーカーはゴロゴロしているし、アンプもゴロゴロしているし。で、CDとアナログの違いの聞き比べは、加山雄三。見事に違いました。音の奥行きとか柔らかさとか。やっぱお皿はええなぁ、と。
そうそう、FtMの人も一緒に泊まっていたのですが、ふたりで「う〜ん」とうなっていました。
そのうち会場の管理事務所とも連絡がついて、パソコンの無事を確認。シャワーを浴びさせてもらって、いよいよ出発。なにせ、飛行機は12時発です。
雪でJRは遅れていたためか、ひたすら満員。この3日間のお酒のための吐き気をおさえながら、立っているのがやっとという感じです。そういえば、プレマリン飲んでいなかったなぁ。
空港に着いたら、「またかぶりましたねぇ」との声。なんと、三重のレポーターがいました。ここにきて、まだかぶるかなぁ。「また連絡しますね」とお互いあいさつして、とにかく土産物を買いました。レジに並んだら「またかぶりましたねぇ」との声。なんやねん、このタイミングは。なんとか土産物を買って、荷物を詰め込んで、セキュリティに並んでいると、ふたたび三重のレポーター出現。「どないしよ、まにあわへん」ですって。「な時にフライト?」「45分ですねん」って、おいおい、あと5分やんか。「前行って「すんません、遅れそうなんです」って言うしかないようね」と言うと、「そうですね」と言って、実際にやったようです。まぁ、大丈夫でしょう。
そんなこんなで、無事伊丹へ。4時半頃にはお家へ。と、だれもいない。実は、パートナーの妹家族が北海道から遊びに来ていて、どっかにいっているようです。しゃーないので、約束していた参鶏湯をつくりながら、みんなを待つことにしました。
夜は、子ども5人と大人3人の大宴会。これはこれで、またいいものです。で、久しぶりの家のふとんで爆睡。あしたは1時間目に授業だわ。
1月 9日 日曜日 のち
教研3日目
朝起きたら、7時半。身体が動きません。でも、今日の午前中にレポート。とにかく、遅れるわけにはいきません。やっとの思いで朝ご飯とシャワーをすませて、ホテルをチェックアウト。今日はけっこう晴れているなぁと思いながら、会場までてくてく歩いていきました。
午前のレポートは3本。わたしの前が三重の人。もう、いきなり三重節が爆裂です。ぜんぜんレポートとは関係なく、性の多様性を常に意識した生き方の必要性を10分間語りきっておられました。わたしはというと、前日に司会の方から「いつきさんですね。レポートはメディアの件でお願いします」とクギをさされていたので、おとなしく文章を読みました。しかし、なんでいきなり「いつきさん」やねん。あたしゃ、こういうときは一応「どひ」で参加してるんやけどなぁ…。
午前の分科会が押しそうになっていたのですが、三重のレポーターさんが「ラーメンを食べに行きたいので、これくらいでしゃべるのやめます」などと啖呵を切ってくれたおかげで、なんとか予定より10分オーバーで終了。三重の人たちと「ラーメンラーメン」と言いながら、ラーメン屋さんまで走っていきました。
午後の分科会は、かなりバテ気味です。それでもわたしと三重の人で、ひたすらいらんツッコミを入れまくりです。「体制なんてつぶれても、一人でも実践できる」とかなんとか。お互いに話がかぶりまくるので、少しずつ話をずらしながら、ほえまくりました。間に滋賀のまじめそうな人がいたのですが、えらい迷惑やったやろうなぁ。
分科会が終わって、教研の全日程が終了。三重の人に「これからも仲良くしてね」みたいな感じでわかれました。
夜は、札幌のトランスの人たちと交流会。札幌医科大学の先生も来られて、大盛りあがりです。生よよさんとも会えて大感激。柳玲欄さんとも久しぶりにあえてこれまた大感激。食べるのを忘れて、ひたすら呑んでしゃべっていました。そのまま2次会はカラオケ。もう、みんなでひたすら歌いまくりです。「yah yah yah」では、ゲンコツの代わりにみんなでネコの手をするわ、こわれたレコードのようにエンドレスで歌う人はいるわ、マライア・キャリーのMtFが登場するわ、サザンが爆裂するわ。札幌のトランスは熱いです。
その後、stnのお友だちの家へ。着いたら3時。ちょっとウィスキーを飲んで、そのまま爆睡です。
1. 01/14 11:08 そうやねん。オトコの同名の同僚は名字で「**」先生、私は「ゆき」先生。絶対逆にはならんもんね。それが社会的オンナの記号のひとつやね。ゆき
1月 8日 土曜日
教研2日目
朝起きたら7時。さすがにボーとしてます。でも、今日・明日と「両性の自立と平等」という分科会でいろんな話をしたり聞いたりしなくちゃなりません。とりあえず、朝ご飯を食べて、シャワーを浴びて、態勢を整えて、いざ出陣。外は大雪です。買ったばかりの靴が若干痛いけど(なにせ、24cm。だって、24.5cmのはデザインが…)それでも雪の中をてくてく歩いて、なんとか会場へ。stn21のお友だちが待っていてくれていました。
会場は、暖房と人いきれでガンガンに暑いです。すでにレポートははじまっていたのですが、「情勢」についてのもので、あまり明るい話題にはなりそうにありません。やれやれ…。
やがてお昼。みなさんはお弁当ですが、わたしはそんなもん食べるわけがありません。せっかくの札幌です。やっぱり、ラーメン。stnのお友だちに連れられて「北の時計台」へ。で、頼んだのは塩ラーメン。基本ですよね。おいしかった…。
午後は性教育のあり方についての論議。これはかなりわたしも論議に入れそうです。楽しませてもらいました。そうそう、「男らしく・女らしくではなく、自分らしく」というのがよく言われるのですが、小学生・中学生あたりであっさりと「自分らしくあればいいんだ」とか言われたら「ん?」なんて思いませんか?で、「葛藤を経て「自分らしく」だったらわかるけど、葛藤なしに、んなこと言われても…」「「自分を好きになること」ってよく言われるけど、小学生・中学生には早すぎるのでは?」などと好き放題しゃべってしまいました。でも、それなりにみなさん真剣に話を聞き、それぞれに自分の思うところを言われたので、それはそれでいいかと。
熱い討議も6時に終了。そこからは、札幌のみなさんの有志が張った宴会に突入。北は北海道、南は沖縄・石垣島の人まで参加のなかなかな宴会でした。そのあと、しゃれた飲み屋で2次会。さらにダラダラと話。やがて、地下鉄の時間があるので札幌の人たちは帰られて、最後に残ったのが、わたしと三重の人たち。この、三重のレポーター、めっちゃおもしろい人でした。まぁ、レポート見たら、3本の線(sex,gender identity,sexual orientationを示すヤツね)があったので、そういう人だろうなぁと。最後の一盛りあがりをして、コンビニでおにぎりとビールを買って、ホテルへ。音楽のセットをしたけど、鳴らす前に寝てしまいました。
1. 01/14 14:09 yumi味の時計台です。(くすっ。)http://www.ajino-tokeidai.co.jp/
2. 01/14 20:11 ご本人のHPかと思いきや…。でも、今度行ってみよ〜っと。(かずみ)
1月 7日 金曜日 のち
教研1日目
子どもはまだ冬休み。なのに、高校は今日から3学期。なんだかなぁという気分です。でも、しかたがありません。とりあえず、始業式だの大掃除だの試験監督で0.8日ぐらいつぶれてしまいました。
ところが、今日から北の大地で教研集会があります。なので、勤務時間の最後にちょこっと年休を取って、大あわてで関西空港へ。関空で讃岐うどんを食べて(これが高い!)、最終の飛行機に乗って北の大地へ。到着は、9時前です。で、あわてて新千歳の駅へ。快速が「今出るぞ〜!」という感じで待っています。乗り込んだら扉が閉まってGO!当然満員です。立ちっぱなしで札幌へ。着いたら既に10時。何人かに連絡したのですが、既に誰も遊んでくれる気配がありません。しゃーないので、確実に遊んでくれそうな人に、最後の選択で電話。案の定、ベロベロになりながら、まだ遊んでいました。で、そこに合流。ようやく、お酒とあてにありつけました。
1時頃に解散。ホテルへ。途中買ったおにぎりとビールをやりながら、持ってきたMP3プレーヤーにちっちゃなスピーカーをつけて、しばし音楽にひたってそのまま爆睡。
しかし、あとが思いやられます。
そうそう、路面が凍って、えらいことになってます。札幌ナンバーがガンガン滑っているんですから…。
1月 6日 木曜日
地域にひらく
「情報公開」が叫ばれる昨今、学校とてそこからはずれることはできません。というか、学校こそ地域にひらかれた場所であるべきだと思います。でも、最近の流れって、何か違う気がします。
今日の職員会議で学校評議会の話が出たのですが、評議員の方のなかには、学校に来たことがない人もいるそうです。そんな人を評議員にするのもどうかと思うのですが、それが実情です。で、そういう人がどうやって学校の情報を仕入れるかというと、「まわりの風評」と「パッと見」です。ところがこれってこわいです。というのは、「まわりの風評」は、自分の判断ではありません。また、「パッと見」=「目立つ」は、たいていの場合、「悪いところ」です。ところが、「ウチの学校もそれなりにやっています」ということをいおうにも、学校に来てもらえない。ではどうするか。「文書」でアピールをしなくちゃならなくなります。で、だれが「文書」をつくるのか。もちろんわたしたちなんですね。で、んなもんをつくるということは、時間が必要になるということです。で、その時間はどうやってつくるかというと、「先生、あんなぁ」といって来る生徒に、「ちょっと待ってな」といってつくるわけです。まぁ、ちょっとこじつけっぽい話ですけど…。でも、どんどん違う方向に行くような気がします。
「文書」によらない「ひらかれた学校」をつくるためにはどうしたらいいのか…。おそらく双方の歩み寄りが必要なんでしょうね。では、どちらから歩み寄るのか。もちろん、必要とする側、すなわち学校から地域に歩み寄っていく必要があるんだと思います。「旧の町」ではない、ウチの学校のあるようなところでは、はじめから信頼関係はありません。「失われる前に、存在しない」ところから、どう信頼関係をつくりだしていくかという営みが必要なんでしょうね。
1. 01/08 09:47 使える。うん。使わせてね<レスは「日曜日の晩」まで待ちますからね(北区)
2. 01/11 13:52 H
3. 01/11 13:54 H先生、家裁退職だって。なんでそこまで・・・・。ひどい話だな(姐)。
4. 01/13 13:12 H先生あった事はないけどあの年齢で再就職活動はしんどいだろうね、ってきょうび、家裁で働くと儲かるの?役に立たない無駄知識ばかりおぼえている人です→(こ)
1月 5日 水曜日
スクール4日目
朝起きると、前日の雪がウソのような青空です。
でも、いきなりゲレンデに飛び出せないのがスクールスタッフのつらいところ。スタッフ構成が変わることにともなって、ミーティングなんかをしなくちゃなりません。
午前は10人の生徒さんを担当。下は小学3年生。上は70過ぎのシニアの方まで。さらに今日午前中帰る人が5人。みなさんが満足してくれるレッスンを2時間で展開しなくちゃなりません。こういうのって、ずいぶんと勉強になります。
午後は5人抜けて小学生ばかりの班になります。こうなるとこっちのものです。林間コースから急斜面から少し残った新雪から、あちこちを飛び回ります。あっというまに2時間が過ぎました。
午後のレッスンが終わって、ようやくフリーで滑る時間が来ました。実は、この4日間でフリーで滑ったのが初日に2本だけ。あとは、かならず誰かと一緒で、好きな滑りができませんでした。リフトがとまるまで、早いところであと40分。遅くまでやっているところで1時間。とりあえず、残った新雪とコブ斜面にあたりをつけて、ひたすら飛び回りました。本当に他に何も考えず、滑ることだけを考えるひとときって、すんごい喜びです。もしかしたら、ダラダラと1日滑るよりも、はるかに濃密な1時間なのかもしれません。
あとは宿舎に帰って荷物をまとめて帰るだけです。帰りにおみやげを買ったり、ちょこっと温泉に入ったり。高速を飛ばして、なんとか今日中に帰ることができました。
さてと、あしたから仕事かぁ…。
1月 4日 火曜日
スクール3日目
早朝、地震のような大音響と地響きです。でも、このあたりはほとんど地震がないところです。「ああ、あれか」と思い、ふたたび寝てしまいました。で、朝起きてスキーを出そうとしたら、「やっぱそうか」です。実は、大屋根の上の雪が溶けて、地面に落ちた音だったんです。なにせ、わたしたちスタッフが寝ているのは屋根裏部屋です。自分たちのすぐ上に積もっていた雪が溶けて落ちていくんですから、すごい音になるわけです。
で、困ったのが落ちた場所。なんと玄関の前です。ということは、除雪作業が必要なわけです。ということで、起き抜け一発の仕事が雪かきです。かれこれ30分ほどスコップで掘ってはダンプ(「ママさんダンプ」という雪国ではみんなが知っている除雪作業の必需品です)で運ぶという作業をしました。いや、いいトレーニングです。
あとは、朝ご飯を食べて、午前のレッスンをして、昼ご飯を食べて、午後のレッスンをして、晩ご飯を食べて、お風呂に入って寝ました。まぁ、スキースクールのスタッフの一日なんて、こんなもんです。
1. 01/07 01:11 つーか、まだ仕事始まってないの?うらやますぃー。東ジュン
1月 3日 月曜日
スクール2日目
起床は7時。ふだんから6時半とか7時に起きているので、なんとか起きられるものの、やっぱ体を使っているからか、眠いものは眠いです。
ところで、スキーヤーの1日は、「スキー出し」からはじまります。つまり、板を外気温に慣れさせるわけです。でないと、滑走面が雪に接触したときに、瞬間的に雪が溶けて、さらにそれが凍ってしまって、滑らなくなるからです。ということで、スキー出しをしたあと、軽くランニング。ところがこれがすごいです。ほんの500mほどなんですけど、息が切れるんです。なにせ、ここは標高1500mです。やっぱり空気が薄いんですね。そのことをあらためて感じました。
あとは、朝ご飯を食べて、午前のレッスンをして、昼ご飯を食べて、午後のレッスンをして、晩ご飯を食べて、お風呂に入って寝ました。なんだ、こりゃ?
1. 01/07 01:13 小学生の夏休みの「やっつけ」日記みたいで微笑ましい(^_^)今年もよろしくね!東ジュン
1月 2日 日曜日
スクール1日目
普通のお正月は昨日まで。今日からしばらくわたしはスキースクールでのスタッフ生活がはじまります。
午前2時半の目覚まし時計で一応目が覚めたものの、頭はボーとしています。それでも、午前3時にはスタート。今朝はめちゃめちゃ冷えています。運転をしていると、突然空腹に襲われました。そりゃそうです。昨日は2食しか食べていない。とにかく、名古屋あたりまで我慢して、吉野家に飛び込んで牛焼肉丼をかきこみました。焦げをわざとつくっているのかもしれませんが、あれ、わたしの味覚にあいませんでした。
スキー場近くになって、道は全面凍結。どうもアイスバーンになっているようです。3年目のスタッドレスはぜんぜん効きません。このあと下りもあるし、どうしようかと思ったのですが、標高が上がるにつれて圧雪路に変化して、なんとか着くことができました。
午前中は少し仮眠をとってから足慣らし。といっても、リフト2本ばかり滑っただけです。午後はシュテムの導入あたりの班の担当。それにしても、今年は雪が少ないです。イシが浮いているの、生徒さん、かわいそうだなぁ。レッスンが終わって、ちょこっとスタッフトレーニング。スクールの制服を着て滑ると、やっぱりミスができないから緊張しますね。まぁ、それが技術向上のためにはいいんでしょうけど。
ところで、このスクールのスタッフは合宿生活なんです。ということは、風呂がある。しかも、一人ではいるわけにはいかないシステムなんですね。で、しゃーないし、「トランスですねん。ホルモンやってますねん」とカムアウト。といっても、とくになにもありませんでした。まぁ、そんなもんでしょう…。
さてと、寝なくちゃ明日が持ちません。おやすみなさい。
1月 1日 土曜日
元旦
昨日の夜更かしのため、目が覚めるとすでに10時半。でも、いいですよね。たまには思いっきり朝寝坊しても。子どもを起こそうとすると、「ママが気がすむまで寝たらいいって言っていた」といって、ふとんの中にもぐり込んでしまいました。まぁええか。
11時頃にようやくみんながそろって「あけましておめでとうございます」とあいさつ。で、子どもたちにはお年玉。それからお雑煮を食べて…。なんて普通のお正月なんだろう…。あとは年賀状書きだの初詣だのと、これまた普通のお正月。もっとも、わたしは初詣をしているパートナーと子どもを見物しているだけですけど(笑)。お家に帰って、昨日つくったおせち料理を食べて、みんなでテレビを見て…。完全なお正月ですね。
そういえば、去年もこんな感じで一年がはじまったわけですが、結局怒濤の一年でした。まぁ、今年もこんな感じで一年がはじまったわけですが、たぶん怒濤の一年だろうなぁ。